校是(至誠至純、真理探究)
校是の意味
「至誠至純」という言葉は,それ自身をさらに「至誠」と「至純」という二つの言葉に分けることができます。 「至誠」とは”極めて誠実なこと”という意味を持つ言葉であり,「至純」とは“このうえなくまじりけのないこと″という意味の言葉です。
そして「真理探究」。 これも同じく「真理」と「探究」に分けられます。 「真理」とは”本当のこと,正しい道理“であり,「探究」は”物事を明らかにするために深く探り極めること“という意味の言葉です。
つまり,「至誠至純」とは,“極めて誠実であり,このうえなくまじりけのないこと“「真理探究」とは”物事を明らかにするために深く探りきわめること“という意味になるのです。
校是の歴史
門高の創立当初(大正12年)〜第二次世界大戦前期までの校是は「皇室中心主義・勤労至上主義」でした。 しかし,昭和13年の生徒手帳の「本校教育の主義方針」という項目には,「至誠至純」「勤勉力行」という現在の校是の原形が登場します。 それから時は流れ,昭和30年代半ばに「真理探究」「至誠至純」が生徒手帳に記載されました。
校歌
第一校歌
歌詞 |
1 硯の海に照る月は 至誠の鏡くもりなく 2 見よ西海の形勝地 門司の水門の学舎に 3 東左洋の朝日影 若き命と爽やかに 4 いでやわれ人朝夕に 校是の二主義身に染めて |
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作詞 |
石崎正雄(一回生) 門司中学四年修了後,第五高等学校入学。 東京帝国大学文学部国史学科卒。 天理大学名誉教授。 |
作曲 |
若狭萬次郎 教育者・音楽家。東京大学甲種師範科卒。 清元(三味線)を五線譜にして昭和2年「神田祭」を出版した。 |
完成日 |
大正15年4月27日 |
エピソード | 当時の校長である戒能校長先生が,「門中の校歌を作りたい。 それも有名な人に作ってもらうよりも君達が君達の学校の歌を作ってみよ。 どんなに拙くともその方が意義がある。」 との意味を仰言って,生徒一同から募集されたものである。 |
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第二校歌
歌詞 |
1 天あり いざ呼べ 躍進門高 2 瀬戸あり いざ乗れ 躍進門高 3 膽あり いざ起て 躍進門高 |
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作詞 |
北原白秋(本名北原隆吉) 詩人・歌人・童謡作家。福岡県生まれ。 早稲田大学英文科予科中退。 新詩社に入り,3年後に退会してパンの会を起こし,耽美派文学の先駆となる。 詩集「邪宗門」,「桐の花」などを出版。詩,短歌,童謡,評論,随筆,紀行など幅広い分野で活躍。 |
作曲 |
山田耕筰 作曲家。 東京都生まれ。東京音楽学校本科声楽科卒。 ベルリン高等音楽学校で作曲を学び帰国後,作曲活動とともに,日本最初の交響楽団フィルハーモニー管弦楽団を組織し,日本に交響曲やオペラを確立するため活躍した。数多くの極めてレベルの高い歌曲,オペラ,交響曲などを生み出した。 童謡「赤とんぼ」の作曲者。 |
完成日 |
昭和13年6月14日 |
エピソード |
この校歌はかの有名な北原白秋と山田耕筰によって作られた。 創立15周年記念の一つとして制定された。 先輩方が無限の敬意と感激をもって歌った第一校歌は,無上の誇りをもつものであるが,それに対し中学生(当時は門司中学校)としての熱烈燃ゆる意気と闘志を求めて作られたのが第二校歌である。 また,平成11年12月には,北原白秋先生の直筆による歌詞のレプリカが,柳川の歴史民俗資料館に寄贈された。 |
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逍遥歌
歌詞 |
1 春や和布刈の 渦潮が 2 夏ふたたびの 潮の香に 3 秋逍遥の 青春に 4 時代移りて 白妙の |
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作詞 |
藤川欣佐(九回生) 山口高等商業学校(現・山口大学)卒。 門司区長(昭和46年〜昭和51年)として谷伍平市長のもとで門司の貿易・観光などを中心に地区の発展振興に貢献した。 現在は北九州東部老人大学学長。 |
作曲 |
畑中良輔(十二回生) 東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒。 東京芸術大学の教官となり,昭和22年にデビュー・リサイタル。 毎日音楽賞・紫綬褒章を受章。 |
完成日 |
昭和59年11月6日 |
エピソード |
創立60周年記念の一環として,旧制中・高等学校でよく歌われたという「逍遥歌」的な記念歌を作成しようと歌詞を同窓生ならびに在校生から募集した。 風師山の麓の同じ学び舎で,たくさんの夢で溢れていた青春時代を過ごした同窓生と在校生とが互いに共感でき,楽しんで各行事で歌えるものを制作しようという趣旨で作られた。 |
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